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こないだ買った CD-R で試しに過去の Netscape Communicator のバイナリ十数バー
ジョン、修論、大学で作った学類用の UNIX のマニュアルなどなど 100 MB 強を焼い
てみました。ATAPI 接続なので cdrecord は使わずに wormcontrol で制御した後は
dd で書き込むんですが、以外とあっさり mount できちゃいました。まだ追記は試し
てないんですが、どうなるかな。
しかし、CD-R の使い道がいまいちないんですよね。たかだか 650 MB ではホーム
ディレクトリ全ては入らないし、会社で DDS にディスク丸ごとバックアップしてい
るし。
今日は六Pへ、B.B.Groove のライブへ
どういうわけか 12番という早い整理番号がとれていたので、初めて最前列へ座れ
ました。おかげで布川さんのギターが譜面台に隠れて全然見えない ^_^;; もうちょっ
と譜面台下げてもらえないかしら。
B.B.Groove は納浩一(bass)がリーダーのバンドで、小池修(baritone sax)や
矢堀孝一(guitar)などが参加しているんですが、毎回 CHAKA がゲストで歌いに来て
いるそうで、2月の小池修バンドの MC で存在は知っていたのですが、ようやく観る
ことができました。
ですが、今日は歌がメインということもあって、いまいち白熱したソロが聴けずに
欲求不満になってしまいました。前日の納浩一オーケストラ・リユニオンに行った方
がよかったかなぁ。
jus の原稿 (勉強会のレポート) を書くはずが、なぜか部屋の片付けを。参考資料
のつもりですこし前の Software Design を本棚の前の本の山から引っ張り出そうと
したら山が崩れてえらいめにあいました。ちょっと痛かった ^_^;
マンガ雑誌の山を崩してスクラップしていたら、創刊してからしばらく Cookie を
買い忘れていたことに気づいてしまいました。しまった、谷川史子の連載が……。い
まさら取り寄せ出きるかなぁ。断裁されちゃったかなぁ……。
結局 jus の原稿は導入部分しか書けずじまい。しかし、こういうレポートは書き
づらいですね。
こないだ作った Communicator 4.75 用のリソースファイルへのリンクが切れてい るという指摘を受けてしまいました。で、調べてみると、IMASY の方はちゃんとある んだけれど、bres.tsukuba.ac.jp の方にファイルを置き忘れていたのでした。たし か前も同じ失敗しているんだよなー、とこれをいい機会に http://www.bres.tsukua.ac.jp/~yohta は廃止して強制的に http://www.imasy.or.jp/~mistral/ へ redirect するようにしてしまいました。 やったことは public_html/.htaccess に Redirect permanent /~yohta/ http://www.imasy.or.jp/~mistral/ と書いただけなんですが。
先月 yohta@bsys.tsukuba.ac.jp もアカウントごと消してしまったし(あ、日記に 書いてないかも。要は staff 辞めたということです)、先月末につくばへのある想い もおしまいにしないといけなくなってしまったし、bres からも web を引き上げると、 いよいよつくばとの縁が細くなってきたなぁ、という感じです。私の「緑の街」はど こへ行ってしまうのだろう。
それはさておき、IPv6-jp で ja-mozilla+ipv6 の port が流れたので、
3.4-RELEASE + PAO3 + KAME な環境で build してみました。結果は散々で、フォン
トはおかしいし、なにより通信が一切できない始末。むー、いよいよ 4.1-stable に
せんといかんかなぁ。
とりあえず通信できんではどうにもならないので、IPv6 なしの port で再構築を
試みながら寝ました。なんせ4時間近くかかるもんで……。ちなみに MMX Pentium
233 MHz です。
川崎で研修だったので、終わったあとシネチッタでスチュアートリトルを観て帰ろ
うかと思ったら、なんと午前中のみだと。ががーん。
しょうがないのでシネチッタ内の TOWER RECORDS で小曽根真の The Trio と FOUR
PLAY の新作 ...Yes, Please! を購入。前作に比べて、ラリー・カールトンの見せ場
が多くて嬉しい。その後横浜に出て 9/30 のPAL MUSIC (DIMENSION やCASIOPEA、熱
帯JAZZ楽団、渡辺香津美の出演する日比谷野音でのイベント) のチケットを買ったり、
マジカルランドの最新刊を買ったりしたのでした。
昨晩 build した Mozilla は結果的にはうまく動きました。通信もできるし、フォ
ントがおかしい件も治りました。
そもそもフォントがおかしいというのは、日本語のメニューが繁体字(GB) フォン
トで表示されてしまうというものです。もちろん日本字の全てのグリフが繁体字にあ
るわけではないので、一部が繁体字、一部が日本字でサイズもばらばらというめちゃ
くちゃな状態になっていたのでした。だから Unicode は嫌なんだ :-(
しょうがないので fonts.dir から gb なフォントを削除してみたらちゃんと表示
できたんですが、結局は設定ダイアログで日本語のフォントを jisx0208 なものに設
定したら、メニューの方も治りました。ふーむ、そういうものなんですね。
Navigator では設定ダイアログで設定したフォントはメニュー等には反映されなかっ
たんですが。かしこいかしこい。
でもメールの設定ウィザードが途中で凍ってしまうのはなぜ。gtk のバージョンが
悪いのかなぁ。最新版に上げて、今晩もう一度 build してみるか。
今日まで川崎で研修だったのですが、せっかく午後5時に帰れるので川崎駅の本屋
をまわってみました。まずは MORE'S の Book Off へ。冊数はおおいけど、なんか同
じ本がたくさん並んでいるのね。特にいま何かを探しているというわけでもなかっ
たので、ふらふらと歩いてみたのですが、わかつきめぐみ花とゆめコミックスが全部
ありました。さすがにカードギャラリーはありませんでしたが。ここではとりあえず
misato の She Loves You を買って帰りました。今年も西武球場は行かなかったなー。
続いて西武の紀ノ国屋へ。しばらくあちこちで FreeBSD Express を探しているん
ですが、ここでもありませんでした。でも買い忘れていた Personal UNIX No.6 があっ
たのでとりあえず購入。この次の号が FreeBSD Express に化けたらしいんですけど
ね。そのあと文庫の棚を物色していたら徳間デュアル文庫の新設と同時に梶尾真治の
思い出エマノンが再刊されていることを思い出して探してみましたが、見つからず。
変わりにハヤカワのSFフェアで陳列されていた恐竜ラウレンティスの幻視を買いまし
た。
いよいよチケットが腐るので、日比谷映画でスチュアートリトルを観て帰りました。
最初有楽町で降りてぴあの地図を見ながら歩いていったのですが、気づくと新橋に着
いていました。どうも近すぎてまだ先と思ってずんずん進んでいってしまったらしい。
ちょっと遅刻して入場したのですが、まだ延々と予告編を流していました。よかった。
話はまぁどうということのないありがちな話ではあるんですが、丁寧に作ってあっ
て素直に楽しめました。Sony Pictures Imageworks のよるネズミ+服の造形は全然CG
には見えないですねぇ。たいしたものです。気が遠くなる作業が中にはあったんでしょ
うけれど。ただネズミの体から人間みたいな手(と指)が生えているというのは、なん
だかちょっと違和感を感じるのでした。
プログラムによると、原作は50年位前に書かれていて、それ以来ずっと人気のある
作品らしいです。どっちかというと私は赤毛のアンの方が好きですが……。
ようやく jus の原稿を書き上げる。結局締切り前日になってしまった。しかし書 いてみると、勉強会のレポートというのは書きづらいですねぇ。どこまで踏み込んで 書けばいいのかわからないし、なにより文体が書慣れないので難しいです。
過去3ヶ月分の imasy-staff のメールをさらってみました。うーん、いろいろな案 件が処理されずに残っていたり立ち消えていたりしてますね。どうしたもんかなぁ。 とりあえずできることからやりますか。
bsys.tsukuba.ac.jp をなくしたので、HTML 的にというか、XSSI 的にちょっと
index.html を書き直してみました。ついでに Valid CSS! なバナーを貼付けてみる
ことにしましたが、CSS validator を通してみるといくつか警告が出てしまったので、
直してみました。今まではサーバ名が www.bres.tsukuba.ac.jp だったら Powered
by Sun とか筑波大のロゴとか入れれたんですけど、それをとっぱらってしまいまし
た。
で、日記のページも始めるときに
木村さん(筑波大の先輩)
のところからもらった diary.css を使っていたのですが、新しく自分で作ってみる
ことにしました。で、できあがったのがいまのやつなんですが、どうも
Communicator くんは A:link を書いてあると A エレメントの name 属性も一緒にし
ちゃうクセがあるようで、H2 { background: ○○ } を無視してくれちゃうのでした。
Mozilla くんはそんなことはないんだけれど。
しょうがないので日記では A:link を指定しないことにしてしまいましたが、大丈夫
かなぁ。そんなことされたら困るという方いらしたらいってください。
YAMAHA の RT80i を使って PIAFS を受けるための設定をした……、はずが
PHS から発呼しても着信せずに NO CARRIER になってしまう……。なぜだ。
会社に F1 マシンがやってきました。
どうも毎年恒例のようで、モービル石油(今はエクソンモービル)がビルに同居して
いるんですが、そこが展示しています。
しかしどういうわけか、West のロゴの部分が Mika となっているのでした。Sun
Microsystems とか Computer Associates のロゴはあるのになぁ。
# しかしそういえば今年は一度も中継をみてないなぁ。
電車の帰りに梶尾真治の恐竜ラウレンティスの幻視 (短篇集)を読んでいたんです
が、どれもなかなか梶尾真治らしくていいなぁ、と思いつつ読んでいたのです。とこ
ろが最後の「時尼に関する覚え書」がもう泣かせる話で、もうしばらく息ができない
くらいやられてしまいました。おそれいりました。
# 突然ベイリーの時間衝突がくだらなく思えてしまった。なんということだ。
どうやら設定した(RT80i自身の)電話番号が間違っていたらしい。でも変えてもやっ
ぱり繋がらない。らちがあかないので www.rtpro.yamaha.co.jp から全データをダウ
ンロードしてくる。 80MB 近くあったおかげで、そろそろ帰ろうかと思ってから始め
たもんだから、なかなか帰れれなくなってしまった ^_^;
# でもやっぱり繋がらない。やっぱり現物目の前にしないと進まないなぁ。
light が落ちる。産まれて初めてリモートから電源の OFF / ON やシリアルコンソー ルからの復旧をしたんですが、いやー、緊張しますね。それも仕事中にだし :-) 一 番びびったのは tip しているときに ~. で接続を閉じようと思ったら ssh が落ちて くれたことだったりして。そんなん知らんわ。
探していた FreeBSD Express を品川インターシティのくまざわ書店で入手しまし た。なかなか面白い記事はあるんだけれど……、でも 1800円はちと高いのでは。
いよいよか、と思い今日付の 4.1-STABLE (4.1-20000914-JPSNAP) のインストール
用ファイルをノートパソコンに仕込んで帰りました。
家に帰って boot 用のフロッピーを作ったのですが、間違えて boot.flp を
/dev/fd0 に cat してしまって freeze。あかんがな。
気を取り直して kern.flp を作って boot してみたら、今度は mfsroot.flp が読
込みエラーを起こす始末。fdformat してみたら不良セクタを連発するんですが、さっ
きはなんで書けたんだろう? やっぱりフロッピーは消耗品ですねぇ。
いつもは newfs もせずに Upgrade インストールで上書きインストールをしていた
んですが、今回は 3.4 から 4.1 へ大きく変わっていたこともあって、いったん /
ディレクトリをまっさらにしてみよう、と fixit.flp を使って / の内容を /dev 以
外は /old に待避してのインストールを試みました。
インストールは特に問題なく終わって、 /usr/local や /usr/home、/usr/X11R6
等を戻していって、/etc/passwd 関連を戻したところでいったん reboot。ホスト名
が空になっちゃったり、なぜか /kernel が 3.4 のもののままだったりしたものの、
無事起動しました。
# /kernel は chflag が面倒で残していたのでした。
さて、rc.conf の merge をしようか、というところで面倒になったので今日のと
ころはここで終了。
昨日に引き続き環境設定から。rc.conf はやっぱり 4.1 の
/etc/defaults/rc.conf をコピーして変更したいところだけ残していきました。
ただ IPv6 関連は 3.4 の KAME とはだいぶ変わっていてややこしそうなのでパスし
てとりあえずそれ以外を設定しました。
その後 /etc のファイルを1個1個設定していったんですが、気づくと OpenSSH が
入ってない。む、これは crypto かぁ、と中をみてみると、ケロちゃん……、じゃな
くて Kerberos が入って DES も入ってる。init も置き換わるし、うーん、どーすっ
かなー、と一頻り悩んだ後、さくっと全部入れてしまう。まぁええわ。
さて、と思って X を上げて xdm からログインしようとすると、ssh-askpass が上
がってこない。なんでや、と思って調べてみると、/usr/X11R6/bin/ssh-askpass が
欲しいらしい。SSH の ssh-askpass は /usr/local/bin なんだけど、としばらく悩
んでみると、/usr/ports/security/openssh-askpass なんてものがあることに気づい
たものの、まだ PPP の設定は終わってなかったのだった ^_^;
で、PPP なんですが、FreeBSD Express の記事を読んで、load コマンドの賢い使
い方を知ったので、load を使いまくっていままでの同じ内容をあちこちに書いてい
た ppp.conf を完結に書き直してみました。
imasy-aterm: load imasy-generic load aterm imasy: load imasy-aterm
なんてわかりやすいんだ :)
これだけ見ると別にどうでもいいのですが、phs の場合とか、内蔵モデムの場合と
か、mopera の場合とか、いろいろ書くと同じことを何度もあちこちに書かないとい
けないんですよね。いや、load ってこんなに便利だったんですねぇ。でも
ppp.linkup では load は使えないみたい。ちぇ。
で、PC card なんですが、Paldio 611S をさしてみたら、なんだか fail しちゃう
のでした。おかしいな、とよーく見てみると I/O address が sio0 と重なっている
のでした。たしかに CIS tupple の先頭には sio0 のアドレスがあるんだけど。
pccard.conf の io の部分を 0x240-0x2e0 0x3e8-0x3f0 としたら認識して PIAFSで
PPP もできました。ATA 関連は全く問題なく認識、mount できちゃいました。ただ
ad8 とかでかい unit 番号になってしまったので、device file の作り直し、
/etc/fstab の書き直しは必要でしたが。ethernet card は会社に行かないとないの
で、月曜日に設定しなきゃ。でも pccard_ether_remove がないんだよなー。どうす
ればいいんだろう。抜いたら Samba を終了するようにしたいんだけど。挿し直した
時に nmbd が core 吐くんで。
あとはトラブルとしては、/etc/ttys で xdm を on にして RCS に check in した
んですが、どうやら -u オプションをつけ忘れたみたいで、reboot したらlogin
prompt が出なくなってしまいました ^_^;; そら、/etc/ttys が空っぽじゃどない
もならんよなぁ。
あとはなぜかlinux emulator を起動するあたりで sh が core を吐いて死んでし
まい、強制 reboot というのがありました。あれはなんだったんだろう。いったん
linux を OFF にしてまた ON にしてみたらちゃんと上がってくるようになりました
が。熱かったのかなぁ。
そんなこんなでいよいよあとは IPv6 の設定のみ、となったのですが、自宅では
LAN がないので、interface は tun0 しかないのです。で、tun0 から IPv6 のトン
ネル掘ってIMASYに繋いでいるのですが、tun0 は 4.1 では起動直後は生えてないの
です。ppp を起動すると生えてくるんですが。
というわけで、prefix も ifconfig も全て失敗してしまうわけで、どないしよう
かとしばらく悩んでしまいました。
今は試行錯誤の結果、boot 後最初の ppp の時だけ(ifconfig tun0 で
3ffe:505:2020:1:: が出てこないとき)、KAME の /usr/local/v6/etc/rc.net6 相当
の処理を行う用にしています。そのうち /etc/rc.network6 を使うようにしたいと思っ
ていますが。
しかし、もっといい方法はないのかなぁ。
今日は朝から雷がごろごろぴかぴかで、午後には瞬停までしちゃいました。ノート
なので影響ありませんでしたが。
IPv6 まわりも問題なく設定が終わり、すっかり平常運転に戻りました。
MRTGのログをみても、コンスタントに v6 でトラフィックが流れています。
たぶんほとんどが news.imasy.or.jp から fetchnews で記事をとってくるためのト
ラフィックだと思いますが。メールや web はあんまり v6 で話せる相手がいないの
で ^_^; そこのあなたも IPv6 でメールサーバ立ち上げてみませんか?
雷が激しかったときは念のためパソコンの電源を引っこ抜いていたので
FreeBSD Express を読んでいたのですが、署名されていた記事は結構読みごたえある
内容だったのですが、署名のない記事はなんだかいまいちですね。3.4-RELEASE の
inetd には libwrap が link されていることを著者は知らないのだろうか。いくつ
か「ちょ、ちょっと待ってよ」という記事があってなんだかなぁ、という感じでした。
しかし BSD magazine は読まないといけないし、UNIX magazine も昨日届いてしまっ
たし、Personal UNIX #6 もまだ読んでないし、18日には Software Design も読まな
いといけないし、大変だ。
/etc/rc.network6 をちゃんと読んで、/etc/rc.conf をちゃんと設定して、ppp の 時には /etc/rc.network6 を実行するようにしてみました。結果、こうなりました。
#! /bin/sh ifconfig tun0 | grep 3ffe:505:2020:1 > /dev/null if [ $? = 1 ] ; then . /etc/rc.conf . /etc/rc.network6 network6_pass1 ndp -i gif0 -nud fi
最後のndpはトンネルの向うとの近隣到達検出をオフにするために入れています。
メロディ(白泉社)を買ってきました。今月からわかつきめぐみの新連載が始まった
のです。半年の間ということなので、全6回なんでしょうか。第1回は16ページという
こともあってそれほど話は進んでないのですが、この先どうなるんでしょう。楽しみ
です。
他にもパタリロが連載されていたり、みかん絵日記が載っていたり、ハムスターの
研究レポートと久々に対面したり、となかなか面白かったです。
先日 Tokyo FM で放送された SING LIKE TALKING のライブを MD に録音して聴い
ていたのですが、いちいち MD で聴くのが面倒になったので、ライン入力からアナロ
グで取り込んで MP3 に変換してみました。しかしどうも一度録音するとサウンドデ
バイスが二度と使えないという症状を起こすようです。とりあえず録音できてしまえ
ば、reboot すればあとは問題ないのですが、なんなんでしょうね。録音の仕方が悪
いのかなぁ。
竹内まりあのライブ音源は CD になることが決まったそうですが、SING LIKE
TALKING のはどうなるのかなぁ。やっぱり無理かなぁ。
USB マウスのテストをしていなかったと思い、Netscape Communicator を起動して
ホイールで動くか試してみたら、起動して何か操作しようとすると固まるという症状
を起こしてしまいました @_@
USB が悪いのか、とマウスを外したり reboot したり VJE-Delta を切ってみたり
.netscape を削除してみたりいろいろやってみたのですが、1時間程悩んだ挙げ句、
原因は土曜にやってたとある作業のために /etc/resolv.conf に書いていた
nameserver 127.0.0.1 でした。作業が終わったらとっとと zone ファイルは削除し
て named も起動していなかったので、ありもしない nameserver を Navigator はえ
んえん探していたようです。あー、びっくりした。さっさと timeout してくれれば
いいのに。
会社に着いてネットワークカードを挿してみたものの、カードを認識はしているも
のの、思った通り何も起きない。あまつさえ ed0 じゃなく ed1 で認識してしまって
いる。ed1 になってしまったのは、config ファイルでパラメータが細かく指定され
てしまっている(デフォルトで)のが原因みたいなので、単に"device ed0" とだけ書
いて kernel を再構築して reboot したら無事 ed0 で生えてきました。
ifconfig や route が設定されないのは、pccard_ether が PAO と中身がだいぶ違
うのが原因のようなので、しばらく眺めてみたもののどうにもならなそうなので、と
りあえずマニュアルで ifconfig, route を実行して /etc/resolv.conf を書換えて
仕事開始 :-)
結局あとで、これではあかん、と PAO の pccard_ether で上書きしてしまいまし
た。pccard_ether_remove もないし、この辺はまだ古いままなのかなぁ。
OpenSSH は SOCKS に対応していないらしい……。libsocks5_sh をリンクすると ssh でログインはできるんだけど、port forwarding がうまく動かない (なぜか せっかく作った port が socks サーバから connect されてしまう)。弱ったなあ。
帰りに前略・ミルクハウス(5)、赤ずきんチャチャ(13)、じゃじゃ馬グルーミ
ンUp(25)を買って帰る。
前略・ミルクハウスは……、相変わらず明るい話と重い話と落差が激しいですね。
それがまたいいんですが。しかし人の想いというのは難しいですね。
昨日の晩、4.1-stable 用の fe ドライバのコードをいただいてきて kernel を再 構築しておいたはずなのに、fe なカードを挿しても "driver not configured" と無 情なメッセージが出てしまう。なぜだ、とちょっと考えてみたら config ファイルに "device fe" と書いてないことに気づく。あほや。
某の DNS 情報の整合性をとりなおしてレビューしてもらっていたものを check in して、named を reload する。無事動いているようですが、やっぱり緊張するなー。 あちこちから nslookup して確認してまわってしまう。
NetBSD の dump はファイルシステムだけでなく特定のファイル(群)だけをバック アップできるそうなので、FreeBSD の dump にその機能を入れてみました。一応でき たんですが、バックアップするファイルが /home -> /usr/home みたいにシンボリッ クリンクされたディレクトリ上にあるとうまくないみたい。/usr/home/yohta/file はちゃんと restore できても、/home/yohta/file として dump すると restore で きない。そういうもんかなぁ……。
別にちゃんと動いているんで全く必要はないのだけれど、XFree86 3.3.5 はそろそ
ろ1年経つので (Release Date は August 23 1999)、XFree86 を新しくしようと思っ
ていたのですが、XFree86 3.3.6 と新しく生まれ変わった XFree86 4.0.1 のどちら
にしようかなー、としばらく悩んでいた結果、会社で XFree86 4.0.1 を ftp して帰っ
てきました。
で、どうせならいらないごみファイルが残っていたら消そう、と既存の
/usr/X11R6 を /usr/X11R6.bak にリネームしてインストールしてみました。
しかし、/etc/ttys で xdm を起動してしまうと、X サーバを終了させたままにして
おくことができないのですね。xdm を kill しても init が起動してしまう……。
インストールはすんなり終わって、起動してみると、3.3.6 の XF86Config を読ん
だようで、エラーを吐きまくってくれます。そういえば忘れてた、と xf86cfg を使っ
たり xf86config を使ったり、できたファイルを書換えてみたりしてみたのですが、
どうしても 16bpp で起動させることができませんでした。NeoMagic ドライバは
16bpp をサポートしていないんですかねぇ。
256色ではあまりにさみしいので、元に戻してしまいました。旧環境は手つけずに
残しておいてよかったです。
今日は jus の勉強会で、四谷三丁目へ。しかし品川からだと行きにくいですねぇ。
今日のお題は「組み込みJAVAのリモートセンシングとエージェントへの応用」とい
うことで、ichiro さんのお話でした。
正直回路図やデバイスの仕様書が資料として配られたときは「げ」と思ったのです
が、なんとか理解できる内容でよかったです。しかしあんなちっこい基板で telnet
できて ftp できて、Java が動くというのはなかなか興味深かったです。
参考: iButton
雨の中、日比谷野音のライブへ……。
家を出たときは止んでいたのですが、寄り道した神保町ではとても傘なしでは歩き
たくないというほど雨が降っていました。何軒かハシゴするつもりだったのですが、
雨の中野音で本が濡れたらしょうがない、ということで梶尾真治の本をいくつか買っ
ただけで地下鉄の駅へ引き返しました。あちこち探してなかった徳間デュアル文庫が
平積みになっていました。さすが書泉グランデ。
三田線の霞が関から再び地上に出ると、なんとか回復したようで傘はささずに済み
ましたが、時折ぽつぽつと降ってきます。しょうがないのでかっぱを500円で買いま
した。
で、今日は何のライブかというと DIMENSION + 熱帯JAZZ楽団 + CASIOPEA + 渡辺
香津美という夢のような共演だったのでした。
DIMENSION はサポートメンバーにいつもの青木智仁、石川雅春を迎えてハードな演
奏を聴かせてくれました。しかし持ち時間が少ないので正味30分ぐらいしかなくて、
新曲もなくて、ちょっと欲求不満だったのですが、しょうがないですね。
熱帯JAZZ楽団は結構期待していたのですが、メンバーのソロもなんかいまいちのれ
なくて、こちらも欲求不満でした。もうちっと原曲のノリを生かしたソロができんも
んなのかなぁ。ピアノとドラムには満足なんですけど。去年のオーチャードホールで
の演奏はもうちょっと熱いソロが多くて良かったんですけどねぇ。
CASIOPEAは知らない曲が多かったこともあっていまいちノリきれなかったのですが、
ナルチョさん(はじめて聴いた)も櫻井さんに負けじと派手にベースを弾きますねぇ。
いやかっこいいフレーズがポンポンでてきてびっくりしました。しかし向谷さんのMC
はなんか外しまくっていたような気がする……。いつもあんなんなのかしら。
終了後には全員揃ってのアンコールで asayake をやったわけなんですが、いや、
みんな好き勝手弾いたり吹いたりしていて良かったです。青木さんもここぞとばかり
に弾きまくっていたし、増崎さんも香津美さんや野呂さんとも違うスタイルをアピー
ルするかのように弾きまくっていて、大満足で帰りました。あ、雨は結局降りません
でした ^_^;
で、帰りの電車の中ではおもいでエマノンを読んでいたのですが……、これは、い いですねぇ。「時尼に関する覚え書」ほどではないですが、連載が進む度に鶴田謙二 のイラストとあいまって、引き込まれていきます。一度わかつきめぐみのイラストで も読んでみたいなぁ。
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