イベントドリブン型日記 2000年10月

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2000年 10月 1日 日曜日

 久しぶりの IMASY の運営委員会だったのだけれど、思った通り過半数には満たな くて、成立しないのでした。まぁでもそれなりに成果はあったのでよかったのですが。
 しかしミーティング中に PIAFS で IMASY に dial up したら、繋がらない。電波 状況が悪いのかなぁ、と家に帰って試してもやっぱり認証が終わった直後に切れちゃ います。あれー?


2000年 10月 2日 月曜日

 昨日の PIAFS で繋がらなかった件は、どうも 4.1-stable にしてから一度も 繋いだことがなかったので気づかなかったローカルな設定の問題だったらしい。 3.4-RELEASE の時の ppp.conf を持ってきたらあっさり繋がっちゃいました。 どうも 4.x で標準で入るようになった ident 行が悪さをしているようなんだけど。 なんだろう。Mucho が悪いのかなぁ。


2000年 10月 4日 水曜日

 ちょっと思い立って、mnews の不可解な動作をしている部分を hack してみる。 まずはメールを削除したりフォルダ間移動をさせたときに、カーソルが変な行に飛ん でいってしまうというメールの整理にやけに不便な動作を追ってみると、どうもスレッ ド表示させた時に何番目に表示しているかというインデックスと実際のメール番号と の変換が変みたいなので、ある場所で >= の条件比較している個所を == に代えてみ たら、あっさり予期した動作になってくれました。で、この処理は削除の時にしか動 かないルーチンだったので、フォルダ移動の時も動くように追加してやって、ずいぶ ん使い勝手が良くなりました。よかったよかった。

 なんてことをしていると気づいたら IMASY の news server の spool が飛んでい た。げ。
 20 分くらい fsck に付き合ったけど進みそうになかったので ^C して寝る。


2000年 10月 5日 木曜日

 昨日 mnews-ML に送ったはずのメールが1日経っても届かない……。どうやら先々 月消した yohta@bsys.tsukuba.ac.jp で ML に入っていたらしい。しまった。

 会社から5時間くらい fsck していたら、遂に defect list を食い潰してしまった。 これはもうごみですねぇ……。

 仕事の都合で久しぶりに C でプログラムを書いたのですが (CAD の端末に Perl を入れて回るのも大変なので)、strcpy() の引数の順番を間違えたり、ポインタ変数 を使って頭が混乱したり、大変でした。やっぱ文字列処理は Perl や Ruby の方がえ えなぁ。どうして NT には標準で awk がないのだ。
 おまけに UNIX の gcc で動作確認・デバッグして Borland C++ Compiler でコンパ イルしようとしたら、path delimiter が違ったり limits.h がなかったりで嫌になっ てしまった。


2000年 10月 6日 金曜日

 会社を早め(といっても18:30)に帰って、秋葉原で SCSI HDD を購入。しかし、気 づいたら世間はいっせいに ATA にシフトしていたんですねぇ。PC Hotline をみても SCSI DISK は載っていないし、いくつか店をまわっても ATA だけで SCSI は置いて いなかったり、置いてあっても奥で少量置いてあるだけだったり……。  結局 BLESS で Ultra 2 な 18 GB のものを購入。しかし 10000 rpm かぁ。熱大 丈夫かなぁ。


2000年 10月 7日 土曜日

 今日はコミケスタッフの第1回拡大準備集会でした。
 ということで神保町の教育会館へ行ったのですが、寝不足で1時間ほど遅れていっ たら、もう午前の発送作業は終わりかけてしまっていたので、午後の部が始まるまで 2時間ほど神保町をうろうろして、夏ごろから探していた「インターネットの起源 (Where Wizards Stay Up Late)」をようやく手にいれました。第1章を UNIX magazine 誌上で読んでから気になっていたのですが、今まで巡り合えませんでした。 ついでに彼氏彼女の事情(10)/津田雅美、SMILE(2)/柊あおい、も手にいれました。

 午後はいよいよ準備集会ということで、まずは夏コミの記録上映から。うーん、3 日目西2ホールの朝方の大騒ぎはこういうことだったのか。視界に入るところで起き ていたことだったのだけど、遠くて全然わからなかった ^_^;
 その後いろいろやって解散。あと2ヶ月かー。


2000年 10月 8日 日曜日

 一昨日買った HDD を付けてみる。
 その前に会社から ethernet PCカードを持ち帰り忘れてしまったので、100 Mbps 対応のカードも持っておこうか、と IO DATA の PCET/TX-R を買ったのですが、 FreeBSD 4.1-stable では認識はされるものの timed out になっちゃいました。
 思えばそれがケチのつき始めで、wide なケーブルがない、電源コネクタが足りな い、ジャンパがない、マウンタがない、と一度買い物にも行ったのですが、結局時間 も掛かりすぎてしまったので、失敗ということで帰りました。
 それとは別に NOC に入って作業する予定は他にもあって、新しく入れた PIAFS version 2.0 (DoCoMo 64K ですね) の受けられる ISDN TA がどうしても着信してく れないので、実際にものを前にみながら設定しようとしていたのでした。どうもよく わからなんですが、結局 ISDN の線が認識されていなかったみたいで、ごそごそやっ ていたら L1 のランプがつきました。あとは専用線を止めた会員のモデムを回収して 帰宅。


2000年 10月 9日 月曜日

 昨日いじった RT80i の設定を引き続き remote で。何点かよーわからん挙動もあっ たんですが、まぁ普通に繋がるようになりました。しばらくテストしてみよう。

 mnews 改造第2弾ということで、自分宛のメールへ返信するときに、自分を Cc に 入れないようにしてみる。ただここでいう自分というのが、localhost でのユーザ名 ・ホスト名とは関係ない、ISP のドメイン名なメールアドレスというのがちと面倒な のですが、こちらもちょこっと 30文字くらい書き足しておしまい。うーん、あっけ なく終わったなぁ。


2000年 10月 10日 火曜日

 再び NOC に入館。今回は他の技術スタッフも一緒だったのでお任せモード。 どうも電源ユニットが相当へたっていることがわかり、突如交換というアクシデント があったものの、なんとか停止予定の2時間以内に片がつきました。
 でも news server は動き始めたけれど、ここ数日の記事はこないなぁ……。しょ うがないか。drop してしまった分は会社のサーバで読も。


2000年 10月 11日 水曜日

 NEWS-OS 6.x では Netscape Communicator の 4.5 以降は動かない (IRIX 5.3 用 のバイナリがない) ということを教えてもらったので、web の内容を書き直す。つい でに 4.08 用のリソースキットを作成してみる。CVS にしとくと楽だわ〜。初めて HEAD 以外の branch 切ったのでちょっととまどいましたが。


2000年 10月 12日 木曜日

 FreeBSD 4.x になって、vaio 505SX のモデムで音(ぴ〜 ぴろぴろ……というネゴ シエーション音)が出るようになったという話をきいて、さっそく 505R で試してみ ました。おぉ、音が鳴る。でも認証まで進まない。なんでやねん。Windows でもあか んぞ。おや?


2000年 10月 13日 金曜日

 ふと思って TA の別のアナログポートに挿してみたら、ちゃんと認証も通って繋が る。なんでやねん。


2000年 10月 14日 土曜日

 ふと気づくと leafnode+ のつける Message-ID がおかしな値 (@0.0.0.0) になっ てることに気づいて、IPv6 対応のパッチをあててないことを思い出す。 leafnode+-2.11 用のパッチはまだないようだったので、とりあえず 2.10 用のパッ チをあてて、reject された部分を手であててみる。……治った。

 来週から自転車かついで旅行に出掛ける予定なので、整備がてらちょっと乗ってみ る。道路地図を眺めて手近なところを見渡してみましたが、あまり適当なところがな かったのですが、そういえば一度も竹山団地って行ったことないや、ということで名 前だけは知っている近所の団地へ行ってみました。うーん、でも車がばんばん通ると ころはオーバーペースになってしまって疲れちゃうなー。おまけに地図をちゃんとみ てないので道を間違えて笹山団地へは行けなくなってしまった。帰りも以前と同じよ うに道を間違えて西菅田団地に出てしまう。うーむ。
 走行距離: 9.20 km
 走行時間: 0:26.14
 平均時速: 20.8 km/h
 最高速度: 55.0 km/h
 ん、55 km/h なんて、いつ出たんだ? ^_^;;


2000年 10月 15日 日曜日

 某の某による某のための某試験を受けに澁谷へ。
 去年はあっさり落ちたけど、今度はどうかなー。去年よりはできたような気がする のだけれど。ネットワークスペシャリストは HDLC も覚えてないといけないのかー。 午前問題の1問目から間違えてしまったよ。
 しかし合格発表が 1月下旬とはのんきな話だとおもうんですが、どうな んでしょうか。あと3ヶ月も先ですよ。

 昼休みにせっかくなので澁谷の街をぶらぶらして Book 1st にでも行こうかと思っ て入り口を入ろうとしたら Reco Fan が目に入ったのでそちらに流れてしまいました。
 2F へ上がるとかつてお金がなくて買えなかった CD がいろいろ並んでいて、なん か丸ごと買い占めたいとか思ってしまうのですが、貯金をはたいても棚一つぐらいし か買えないので、ぐっとがまん。おまけに所持金が数千円だったので、神様に敬意を 表して MSG の "unplugged" live 1枚だけを購入。そういえば初めてコピーしたのは MSG のGimee Your Love だったなぁ (Young Guitar にスコアが載ってた) と思い出 しつつ聴いてたんですが……、いい曲が多いですね。UFO 時代の名曲 Natural Thing も Phil Mogg より Robin McAuley の歌の方がいいなー。

 ふと CD-R を焼くテストをしてみようかと思うと、4.x には wormcontrol がない ことに気づく。あれ? ソースはあるのに、バイナリがない。4.x になって wd ドラ イバから ata ドライバに変わったからかなぁ。FreeBSD-current で検索してみると、 やっぱりそういうことのようで、代わりに burncd を使えとある。ふむふむ。なんだ 日本語マニュアルもあるぞ、jpman project をさぼっているとこういうことになるの だな。ううむ。

 日曜だというのに UNIX magazine が届く。高岡製作所が今度は Linux の diskless PC を売り出している。diskless が好きですねぇ。kernel を ROM で持っ ていると書いてありますけど、書き換えは簡単にできるのかなぁ。なんかコマンドが ついてくるのかな。FDD から起動して、ってことはないと思うけれど。これ FreeBSD kernel でも動くのかなぁ……。loader はどうなっているのだろう。
 なんと今月はワークステーションのおとが、大増12ページもある。おぉ。
 UNIX 便利帖は fetchmail。ですが preconnect が載っていない。それではあんま り嬉しくないような……。ssh と連携できるのが fetchmail のいいところだと思う んだけど。
 特集で JAIST の藤枝さんが登場。X/Motif の話かと思ったら Cygwin だった。こ れは意外。  もう一つの連載では SYN Flood の話題が出てましたが、そういえばネットワーク スペシャリストの午後2問題で SYN Flood に関する問題が出てました。問題はそう難 しいものではなかったのですが、こんな問題が試験に出るとは嫌な世の中ですね。


2000年 10月 16日 月曜日

 初めて FreeBSD の make *world をする。
 セキュリティホールもいくつかたまったし、4.1.1-RELEASE も出ちゃったし、とい うことで1ヶ月ほどジャンプしてみました。私のノートは MMX Pentium 233 + ATA33 という構成なんですが、約5時間というところでした。make -j 4 とかすればもっと 速かったのかな。CVSup もデータセンタに CVSup のミラーサーバがあるので 10分く らいで気づいたら終わってしまっていて拍子抜けしました。1ヶ月しか経ってないの で mergemaster もさくっと終わって順調に動いています。
 ただ一つ不可解だったのが、ISDN TA 経由での dial up が、connect しなくなっ てしまいました。time out の時間を延ばしてみたり、PIAFS で dial up してみたり、 TA の電源を入れ直したりしているうちにいつのまにか治ったんですが、なんだった んだろう。鬼門だ。

 で、PPP が繋がったのでメールやニュースの受信をしていたら、コンソールに

Oct 16 23:40:32 mailto:mistral inetd[787]: refused connection from pC19F0E9B.dip.t-dialin.net, service ftpd (tcp)

といういやーなメッセージが。TCP_Wrapper の設定をもう何年もしてますが、こんな メッセージ見たの、実は初めてです。こわいよー。どうもこの人は ftpd の port だ け手当たり次第に探っていたようなんですが、何が楽しいんだろう。どうせ port scan するなら、IPv6 でしなさいよ。

 帰りにメロディを買って帰る。いやー、やっぱりわかつきめぐみのお話はいいなー。 でもなんだか短い……。

 ネットワークスペシャリストの午前問題を ITEC のページ で自己採点してみる。
 80問中、12問も間違えてしまった。うーん、なんかいくつか納得いかん解答例があ るぞ。でもまぁ、85% なら、大丈夫かな。問題は午後I, 午後II なんだが……。まだ 解答例がない。
 解答例公開先一覧(平成12年秋期) というリンク集もあるんですね。またしばらくしたらチェックしよう。


2000年 10月 17日 火曜日

 遂に前略・ミルクハウス(文庫)が完結。
 いやー、最後まで全く筋を覚えていませんでした。10年という歳月は怖いなー。
 しかし涼音さんってすごい大人だなー、という気がします。私はとてもあんなに気 が効くようにはなれないです。たぶん一生掛っても無理かなー。
 少女マンガ版めぞん一刻という感じはそれほどしなかったけれど、今後何度も読み 返すことになりそうです。

 一緒に横山えいじのマンスリープラネット (ハヤカワJA)も買ったのですが、いやー、 SF ですねぇ。タイプパトロールのつかまえ方なんて、今日にでもやってしまいたく なってしまいます :-) とりあえず今度ストレスがたまったらやってみよう。


2000年 10月 18日 水曜日

 FreeBSD Press 創刊
 ソニー(株)へのインタビューというから、ホームページ室の岸さんかと思ったら、 やっぱりそうだった :-) そうかー、4.1-stable も使っているんだー。やっぱり結 構安定しているんだなー。x.0 とか x.1 とかのリリースってあんまり安定していな いという説もありますが、4.x は結構いいみたい。


2000年 10月 19日 木曜日

 明日から屋久島だというのに、何も準備していない。
 とりあえずそのへんのものをごそごそと 40L の登山用ザックに詰めてなんとかす る。うーむ。行く前からぱんぱんになっている。今回もお土産は買えないなー。


2000年 10月 20日 金曜日

 今日から1週間休みをとって屋久島へ。
 今日はいつもよりちょっと早めに起きて、一昨日買った輪講袋に自転車を詰める。 が、錆びついてペダルが外れない X_X。潤滑剤を吹き付けてぐいぐいやっているうち に外れましたが、えらく時間掛ってしまいました。輪講袋は一昨日横浜のシマダとい う自転車屋で買っ た新品だったんですが、後輪を外さなくていいので便利といえば便利なんですが、当 然のようにでかい……。今まではつくばで買ったMTB用よりも安いロード用の輪講袋を使っていたので すけど、フラットなクロスバイクのハンドルでは一部が袋からはみ出してしまっていた ので、電車はともかくさすがに飛行機ではさすがにいかんだろう、と MTB用のを買い 直したのでした。ロード用は後輪も外していたのでほぼフレームサイズに収まって、 しかもフレームを縦にしていたので底面積は結構小さかったんですが、ずいぶん大き くなっちゃいました。

 で、ザックと自転車をかついでまずは横浜線へ。
 横浜線ではとりあえず一番後ろで並んで車掌さんに運転席スペースに自転車を置か せてもらえました。ところが京浜東北線での人身事故のあおりをくって延着。横浜へ 着いて京急に乗り継ごうとしたのですが間違えて運転手側へ降りてしまったので自転 車を載させてもらうわけにもいかず、満員の横浜駅をはじからはじまで歩く気にもな れず、ここで予約していた 9:30 羽田発鹿児島行きの ANA 便をあきらめて空いてい る普通列車でゆっくりと蒲田まで行ったのでした。蒲田から羽田空港へはそれほど混 んでなくて普通でなくてもなんとかたどり着けました。いやたしか快特以外は全部各 駅停車なんですけどね。
 で、空港についてカウンターで次の便を訊くと、1時間後に JAS があるとのこと。 チケットは web で予約だけしかしていなかったので ANA にする必要もなかったので JAS のカウンターでチケットを買ったのですが、正規料金のために 33,000 円(特割 だと 23,500円)。予想外の出費となってしまいました。しくしく。
 で、1時間空港の中で時間をつぶすはめになったのですが、先週買った ProTrek の 気圧・高度・温度の計れる時計の説明書を読んでいました ^_^; 高度というのは、 ようするに気圧の変化で推定するんですが、この関係って単純な比例じゃないんです ね。国際標準大気 (ISA) というので 0 - 100m は約12hPa、100 - 200m は約11hPa、 ……、というように結構細かく決まっているみたいです。奥が深いですね。  で、乗ったら乗ったで天気が悪くてえらく上下に揺れたのでした。本を読んでても 紐の切れたエレベータみたいに落ちている感覚が断続的にして結構気持悪かったです。 機長は安全性には全く問題ありませんというんですが、嫌なものは嫌です。

 で、鹿児島に着いたのですが、とりあえず高速バスで鹿児島市街へ。西鹿児島駅で 降りたのですが、右も左もわからなくて右往左往して港(北埠頭)へ行くバスを探した のですが、どれが行くのかさっぱりわかりません。フェリーの時間も迫ってきたので 途方に暮れてタクシーを拾って港まで送ってもらったのですが、どうもフェリー乗り 場まで行くバスはないんですね。桜島桟橋というバス停で降りてしば らく歩かないといけないようです。じゃあ桜島行のフェリーには歩かずに行けるのか というとそうでもなくて、やっぱりちょっと歩かないといけない。うーむ、不思議だ。 鹿児島のことを全然調べていなかった私も私だが、ちと不親切ではないのかなぁ。やっ ぱり手間を考えると飛行機で屋久島に行けばよかったかなぁ。

 で、乗り場に着いたので今日最後の屋久島行であるジェットフォイルに乗ろうとし たのですが、これが予約で一杯な上に自転車を乗せるスペースはないといわれる (実は1時間前にあると思っていた元々乗ろうとしていたフェリーも奇数日だけの運行 で今日はなかったこともわかる。しかもどうも今はドックに入っていて11月まで運休 だったらしい)。
 もう、どうしようもないので鹿児島で一泊せなあかん、ということでとりあえず予 約していた宿に一日分キャンセルしてもらって、今日は鹿児島をうろうろすることに。

 さっそく自転車を組み立てて(といっても前輪はめてペダルはめてアシストバーは めるだけですが)、ザックを背負って鹿児島の街を走ってみたのですが、家にサイク ルコンピュータを忘れたことに気づきました。ががーん。積算距離も平均速度もさっ ぱりわからない……。
 それはさておきまずは本屋でるるぶ鹿児島を買おうかと思ったら、思った通り売っ てない。そりゃ地元で買う人はいないよなー、としょうがないので九州の本をぱらぱ らめくって安そうな宿の場所を覚えて行ってみたらちょうど空いていたのでとりあえ ず宿を get しました。6000円でしたが、まぁあちこち探すのも面倒なのであっさり 決めて荷物を置いて再び街へ。
 まずはとりあえず手近な円照神社へ。神社でした。ついで西郷隆盛像。上野の西郷 さんとそっくりでした。そして天文館。天文台でもあるのかと思ったら、単に幕末の 頃に天文館があったというだけで今はただの繁華街でした。ここでは自転車を降りて うろうろしていたのですが、金曜だからか高校生、中学生が多く目につきました。東 京とか横浜だとなんかガラの悪そうなのがたくさんという感じなのですが、鹿児島で は純朴そうな中学生、高校生が多くてちょっと安心したのでした。

火山灰集積所  ところで、鹿児島はさすがに火山灰が山のようにありました。たまにカーブを急角 度で曲がろうとするとテールが滑ってこけそうになることもありました。今朝までの 雨でだいぶ流れて道路の上は比較的きれいになっていたそうなのですが、街のいたる ところで灰の集積所が設けられていました。

 こうして九州での一日目はトラブル続きで過ぎていったのでした。
 それとは別にたまたま金曜ロードショーでトータル・リコールをやっていたので思 わず観てしまいました。ディックファンにはすこぶる評判の悪い映画ですが(原作は 追憶売ります、だったかな)、なかなか気持悪くて良かったです。自分の記憶が信用 できない状況というのは、それこそ70年代からネタとしてはあったと思うのですが (オリジナルはディック?)、今目の前に突き出されてもどうすればいいかわからない ですね。おそらく30年もすれば否応なく人類はそのようなことが可能となる社会へ突 き進んでいると思うのですが、攻殻機動隊に出てくる草薙素子のような悩みはやはり 救いようもなく起きてしまうのかもしれません。宗教に走るのは楽ですけど……。


2000年 10月 21日 土曜日

 今日は予定通り 8:45 のフェリーで屋久島へ。2等料金は 3,970円。自転車の航送 料金ははええと、いくらだったかな。200円ぐらいだったかな。
 2等客室は絨毯がひいてあるだけなんですが、それほど混んでなくてそれなりにの んびりとできましたが、いかんせん4時間もあるとすることがないのでした。とりあ えず着いてからの行動を考えてみたり、唯一持ってきた本 (インターネットの起源) を読んでたり、デッキから外を眺めてみたり、朝ご飯としてそばを食べてみたりした のですが、やっぱり暇ですね。空が霞んでなければ大隅半島とかもきれいだったと思 うんですが、いまいち地形もわからかったこともあってなんだか島があるなー、ぐら いしかわからなかったのでした(島じゃなくて半島だった)。

屋久島に着いたフェリー  そうこうしているうちに屋久島が見えてきて接岸して、ようやく屋久島に足を乗せ ることができました。
 で、まずは屋久島環境文化村センターへ。
 ここは屋久島の北の玄関口である宮之浦港からすぐのところにある県の施設で、屋 久島のてっぺんから爪先まで一度に知ることができる展示や映像 (20x14m の巨大ス クリーンでみる映像は酔いそうでした) を楽しめるところで、また月ごとの植物ガイ ド(A4両面の紙に1月分載っている)や観光・登山ガイドもあっていいところでした。 あなたも屋久島に行かれる際には飛行機で行ったとしても、ぜひお立ちよりを。
 で、観終わったら白谷雲水挾に行こうかと思っていたのですが、時間もあんまりな くなったので宿のある安房まで20km自転車でえっちらおっちら行こうとしたのですが、 走っているうちに荷物の重さがずしっと効いてきて登り坂がえらく辛かったです。途 中で遅めの昼ご飯を食べたり枕状溶岩を観たりしたのですが、宿に着いたらもう股関 節のあたりが痛くなってしまいました。いや明日宮之浦岳に登るなんて冗談なんじゃ ないかと思うくらい。 枕状溶岩拡大図 枕状溶岩遠景 枕状溶岩の看板

 宿は山溪から出ている「屋久島を歩く」で紹介されていた民宿志保というところだっ たのですが、登山について相談するといろいろ教えてくれて良かったです。とりあえ ず明日は予定より一日遅れですが宮之浦岳に登ることにしてタクシーの予約と朝・ 昼の弁当の予約だけして午後9時くらいにさっさと寝ました(ほんとはそんな時間には なかなか眠れなかったんですが)。


2000年 10月 22日 日曜日

 朝5:00に宿を出てタクシーで淀川(よどごう)登山口へ。
 途中5:00から開いている弁当屋(あさひ弁当)へ寄って弁当を買っていきます。便利 ですねぇ。淀川登山口は標高 1360m ぐらいあるのですが、ここまで標高 0m から上 がっていくので、えらいことです。途中でヤクジカやヤクザルと遭遇したり、紀元杉 のところで水をくんだりしつつ高度を上げていくと、6:00 くらいに登山口へ到着し ました。6:00 ではあたりはまだまっくらでしたが、ご飯を食べているうちに明るく なってきました。ちょうどいい感じです。
淀川 淀川小屋  淀川登山口にはトイレの他に登山届を出す場所があったので登山届けを書いたので すが、この登山届には下山届という欄がありました。下山したら書けということなん ですかね? そんなの初めて見ましたが。
 軽くストレッチをして登りはじめましたが、明るくはなってきたもののガスがかかっ ていてあんまり景色がよく見えません。おまけに傘をさすほどではありませんが、時 折ポツリポツリと雨も落ちてきて、やっぱり昨日登らないといけなかったかなー、と 心はすっかり暗澹たる様になります。
小花之江河  花之江河(はなのえごう)に着いてもガスがかかっていて湿原の全貌がよくわかりま せん。花も咲いてないのでさみしい湿原でした。でも泥炭湿原としては南限みたいで すね。夏に来るともうすこし華やかなんでしょうけれど、10月じゃしょうがないです ね。
ガスの切目から見えた風景  投石岩屋のあたりを過ぎるといよいよ稜線に出るのですが、それでもやっぱりガス がかかってまわりの景色は全然見えません。これはつまらんことになりそうだなぁ、 と歩きつつ雨は降っていないもののササが露で濡れているので下の雨具を履こうと腰 を下ろしていたところ、突然向かいの山がガスの隙間から姿を見せました。そのうち また姿を消してしまいましたが。
山頂(にみえたもの)  道中そんなはっきりしない天気のまま宮之浦岳の手前のピークである栗生岳に着い てしまって休憩していると、また突然ガスが晴れて目の前に山頂が見えてきました。 おぉ、これは腰を降ろしている場合じゃない、と目の前のピークまで登ってみると、 再び目の前にピークが。しょうがないので再びピークを登り詰めると、そこにはよう やく一等三角点(1935m)が横たわっていました。
永田岳2 永田岳 山頂(ほんもの)  山頂には誰も居なかったので持参した三脚を使って記念写真。山頂では風がびゅん びゅん吹き荒れていてかなりの風圧だったのですが、おかげで雲が吹き飛ばされたの が 360度さえぎるものがない光景を目にすることができました。九州第2の高さを誇 る永田岳(1886m)もくっきりすぐそこに見えます。山の向こうには海が見え、海の上 を進む船も見ることができました。空を見上げればきれいな秋の澄んだ紺碧の空の中 に白く光る月も見えました。また縄文杉方面は一面の雲に覆われていて今日も苔は湿 潤としていそうです。いや、なかなか素晴らしい秋の風景を体全体で味わうことがで きました。
 ところで予定では 11時過ぎに山頂に着いて12時に山頂を出れば帰りのタクシーの 時間もちょうどいいかなと思っていたのですが、思ったよりも体力も落ちていなかっ たようなのと景色も良くなかったのでそれほど休憩もとらなかったためか、コースタ イムを大幅に上回って 10:20ごろには山頂に着いてしまっていました。
 永田岳往復するにはちょっと足りないし、ぼーっとするには長すぎるしという時 間を持て余してしまったので、少しお腹空いたなー、とカロリーメイト(最近出たベ ジタブル味)を1袋かじっていると余計にお腹が空いてしまって、昼ご飯をまだ10時半 だというのに食べてしまいました。今回は飴とかチョコレートとか甘いものを準備し なかったので余計にお腹が空いたのかもしれません。
 その後写真をばしばしとったり、ぼーっと景色を眺めたり、眼下に押し寄せてくる ガスの流れを眺めたりしているうちにかしましい団体が来てしまったので 11:20ごろ に下山をするはめになってしまいました。
ヤクシマツルリンドウ  帰りは時間がたっぷりあったのでゆっくり降りていきましたが、ふつうに登り降り しているだけだと普通の山ですけれど、頂きに変な形の石がごろごろ転がっていたり、 杉の幹に苔がびっしり生えていて着生植物も多かったり、石も苔がむしていて緑じゃ ない岩の方が珍しかったり、とあたりに目を向けながら歩くとかなり特殊な山でした。 でも花はほとんど咲いてなくて、目についたのはヤクシマツルリンドウ(かな?)とか ヤクシマアザミくらいでした。
淀川登山口 淀川小屋の水場  そんなこんなで途中淀川小屋で30分ぐらいごろごろして時間調整して、ちょうど 16:30に登山口に着いたのですが、タクシーで降りはじめるとガスがかかってきて、 しばらくするとどしゃ降りになってしまいました。単に標高が下がったからか、上で も雨になったのかはわかりませんが、いずれにせよ山の天気はよくわからんですね。
 タクシーは安房タクシーというところに頼んだのですが、道中屋久島の植物につい て詳しく教えてくれて、とても面白かったです。一人でタクシーだったので往復で1 万5000円くらい掛ってしまいましたが、結構納得して払えてしまいました。

 宿に帰って靴下を脱いでみると、右足の小指にマメができてました。痛くはないけ ど、なんかいやな感じ。左足の親指のつけねあたりが痛いけど、マメはできてなさそ う。やっぱり新しい登山靴買おうかなぁ。中1の時に買ったやつだから、もう14年経つの かー。いつも山行こうとする度に新しいのを買おうかな、と思うんだけど今買っても 履き慣れないからまたにしよ、というのが続いているのでした。
 しかし上の方は天気が良かったとはいえ、ずいぶんと日焼けして時計の痕もくっき りついてしまいました。ちょっと赤い……。

 ところで今回の旅行には SONY Cyber-shot F505K と 32MB, 4MB のメモリスティッ クを持参したのですが、途中で容量が一杯になってしまいました。 1600x1200 で撮ると 110枚くらい 32MB のメモリスティックには入るのです が、3日目にして一杯になってしまいました ^_^;。
 普段は撮ったらその日のうちにノートPCで取り込んでしまうので今まで容量が足り なくなることはなかったのですが、今回は荷物が一杯だったのと自転車でこけて壊し たらやだなー、と思ってPCを家に置いてきたのでどうしようもなく、いくつか捨てて もいいと思う写真を捨てるはめになりました。気楽に撮れる分思った時に撮ってしま うのでいらない写真も増えてしまいますね。


2000年 10月 23日 月曜日

 今日はゆっくりしようということで、9:00 ごろまで宿にいて、自転車で屋久杉自 然館へ。
 屋久杉自然館は安房から昨日通った登山口へ行く道を途中まで登った標高160m ぐ らいのところにある屋久町の施設なんですが、どちらかというと環境文化村センター が屋久島の概説的な紹介をしていたのに対して、テーマを屋久杉だけに絞って生態や 伐採事業といったあたりを掘り下げて紹介していました。
 なんですが、この日は実に暑くて自転車をちょっと漕いだだけで汗がだらだらたれ るは、シャツはびしょびしょになるは、なんだか頭がフラフラしてくるはで大変でし た。ここでは同じ太さの各地の杉の材を比較して、いかに屋久杉は年輪が密になって いるか(同じ太さになるのに時間がかかるか)という展示が面白かったです。秋田杉だ と100年のところが320年だったかな。見た目も全然違いますね。
 その後は隣接の世界遺産センターへ。でもここはあんまり面白くなかった……。こ こでもらった資料が後で役に立ったんですけど。

 これだけではまだ昼にもならなかったので、屋久島をしばらく回ってみることにし ました。とりあえず周回道路に戻って時計回りに尾之間方面へ。
パイナップル畑  このあたりはそれほど見るものもなかったのですが、今日は一昨日とは違って荷物 が軽かったのでそれほど疲れずに走れましたが、なんせ暑いもんで屋久島有用植物リ サーチパークに着いたころにはかなり夏バテ・日射病みたいな感じになってしまって いました。おかげでご飯を食べた後に園内を歩いたら一面に広がるパイナップル畑と か面白いものがいろいろあったのですが、あまり見てまわる元気が出せないのでした。
トローキの滝  隣には日本でも珍しい川から直接海に落ちるトローキの滝を見たのですが、これは なかなか珍しい光景でした。一見の価値はあります、はい。
 そのあとはしばらくまた何もない道を走って尾之間まで。とりあえず近かった屋久 島温泉ホテルへ行ったら、なんと浴槽清掃のため17:00-との貼り紙が。しょうがない のでもうちょっと先の尾之間温泉まで行って温泉につかりました。ところが日焼けが すっかり酷くてとても熱い湯には腕をつけられないのでした。手の甲も同様で体を洗 うのにも難儀するという困った状態になっていたのでした。10月なのに。
 この日はもう帰って宿の近くの薬局で日焼けの薬を買ってさっさと引っ込んでしま いました。薬局のおばさんによると、今日は特別暑くて久しぶりにクーラーをつける ほどだったとのこと。天気予報では曇りだったんだけどなー。しかしこんなくそ暑い なか長袖なんか来ていられないし、日焼け止めつけても汗で流れちゃうだろうし、ど うすればよかったのかなぁ。

 この日はなんだかぐったりしてしまったので陽のあるうちから寝てしまいました。 あぁ、もったいない。夕方かしましい団体が来て目が覚めたので、明日は縄文杉へ行 くことにしてタクシーとお弁当の予約だけしました。


2000年 10月 24日 火曜日

 この日は朝早く起きて縄文杉へ会いに行きました。
 縄文杉への最短アプローチは荒川登山口から軌道敷を歩いていくルートなのですが、 このルートは人気が高いので4200円で往復してくれるツアーがあるのでした。ですが 今日はどうやら二人だけだったようでした。
荒川登山口  今回は一緒にタクシーで乗ってきたKさんと、登山口で一緒になったNさんの3人で 歩いたのですが、あいにく今日は(も?)登山口から雨がぱらつく天気で、GORE-TEX の雨具を初めて上下着込んで歩き始めることになりました。ザックカバーももしかし て初めてだったかな?
軌道敷  軌道敷はやっぱり歩きにくかったです。ようするに電車の線路の上を歩くようなも の(ただし砂利ではなく土)ですが、おまけに枕木の間隔がいびつなおかげで余計に歩 きにくいのでした。これが8km も続いているわけなんですが、楠川歩道からの道と合 流した後は線路の間に板が渡してあってずいぶん歩きやすくなりました。
 小杉谷小中学校の跡地の少し手前で軌道敷は分岐しているのですが、このあたりで 軌道車と行き違いました。珍しいものが見られました。びっくりして写真を撮り損ね てしまったのが心残ですが。
 途中何ヵ所か軌道ごと道が崩れて迂回路ができていたり、岩がレールの上まで落ち てきていたり、倒木がまたいでいたり、トロッコはとても通れなくなっていましたが、 分岐のこちら側はもう使ってないみたいですね。
 そんなこんなで軌道敷が終わりいよいよ大株歩道入り口に入るといきなり山道でし た。といっても木の根っこはそれほどなくて急な道は階段が整備されていてそれほど 歩きにくい道でもありませんでした。普通のスニーカーでも注意すれば大丈夫かな。 一緒になった高校生(戸塚高校という私の自宅の比較的近所にある高校)はみんな登山 靴じゃなかったし。
ヤクシカ 縄文杉 ウィルソン株  そうこうしているうちに翁杉も過ぎ、ウイルソン株も過ぎ、縄文杉と対面したので すが、正直疲れたり、ヤクジカがいたり、雨が降っている中ご飯をどこで食べようと 考えていたり、でゆっくりと縄文杉と向かい合う時間は取れなかったのでした。展望 所から少し離れてからしか見られませんでしたし、大きい大きいと聞かされていたわ りには、それほど大きく感じられなかったのでした。今度は晴れた時にまたゆっくり と会ってみたいものだと思いました。来年の5月後半ぐらいに縦走してみようかな。


2000年 10月 25日 水曜日

 予定では明日の16:30鹿児島発の飛行機で帰る予定でチケットは既に購入済だった のですが、昨日の晩に改めて時刻表をみてみると、どうやら明日の朝出るフェリーは 「車両航送のみ」などと不穏なことが書いてあることがわかりました。で、今朝早く 電話して聞いてみると、別に自動車に乗っていないと乗れないわけではなく、自転車 も運べるようだったのですが、なんと11月までドックに入っていて明日は動かないと いう。え? というわけで急遽今日のうちに鹿児島に渡らないといけないことになり ました。うーむ。いい加減な予定を立てるからこーなる。一番大事なのは飛行機より も宿よりも船だったらしい。やっぱり屋久島は飛行機が便利だったかなー。
 今日は昨日一緒にまわったNさんと大川の滝までバスで行く予定だったのですが、 滝を12分で見て戻ってこないといけないみたい。うーん、もうちょっとなんとかなら んのか。
 というわけで急いで荷物をまとめて待ち合わせのバス停まで走ったのですが、バス 停を間違えてしまって会えなかったのでした。バスを見送ってからふと先を見たらも う一つバス停があってNさんが乗っていくのでした。なんでこんな歩いて30秒のとこ ろに二つもバス停を作るんだ。ぷんぷん。
 しょうがないので50分ほどうろうろして次のバスで追いかけることにしたのですが、 屋久島フルーツガーデンへは行けずじまいになってしまいました。しくしく。
大川の滝  栗生のあたりで合流して大川の滝まで行ったのですが、さすがに九州一との誉だけ あって迫力があって見とれてしまいました。華厳の滝のような一段の滝もきれいです が、何段にもしぶきをあげて落ちてくる滝というのも迫力があっていいですね。
 その後はバスで宿へ戻って再び荷物を背負って自転車で宮之浦へ向かったのですが、 いやー、やっぱり重くて参りました。なんせちょっとでも遅くなると明日の飛行機に 乗れなくて2万円がパーどころが金曜に会社にも行けなくなるし GROOVE DYNASTY に も行けなくなるし、というわけで結構ピンチだったのですが、なんとか出港に間に合 うことができました。結構心臓に悪かったです。

 フェリーでは昨日縄文杉で一緒になった高校生と一緒になりました。また屋久島に 渡るときに同じフェリーに乗っていたバイク乗りのお兄さんとも一緒になりました。 こういう意外なところが旅のいいところですね。
 フェリーの中では「インターネットの起源」を読み終えたのですが、これはいい本 ですね。今まで点でしかしらかった知識が面で繋がりました。RFC (Request For Comments) の由来とか、少し前に John Postel 氏が亡くなった時にどうしてあれほ ど大きく騒がれたのか、ARPANET とは、TCP/IP の背景、などなどいろいろわかった 気がします。

 鹿児島に着くと、先週泊った宿にまず行ったのですが、空いてないとのこと。他の 宿をいちいち調べるのも面倒だったので観光案内所で聞いてみると、宿泊は全然駄目 とのこと。どうも今週はどこも一杯らしい。うーむ。行き当たりばったりでいくとこ うなるんだなぁ。
 しょうがないんで桜島フェリーの中で夜明かしかと思ったのですが、幸い桜島のユー スホステルは空いているとのことだったので、明日は桜島を走ってみるつもりだった のでちょうどいい、とご飯を食べてから再び桟橋に戻って桜島へ。

 ユースに着くと予想に反して部屋には電気が灯っていないのでした。ん、独りか?  と思いきややがてでかいザックを背負ったアメリカ人とおぼしき若い男の子が JAPAN と書かれた例の分厚い本を手に持って現れました。日本語はほとんどしゃべれ ないということで英語で少し話したのですが、明日は桜島に登るとのこと。たしかに 例の本には登山道と思しき線が書いてあるのですが、本当に登れるのかなぁ? 私が 屋久島から来たと行っても彼は知らないようで、世界遺産センターでもらったパンフ レットを使って説明してあげました(英日両用だったのです)。思わぬところで思わぬ ものが役に立ちました。世界遺産は World Heritage といいます。そのまんまですが、 覚えておきましょう。いつか役に立つかもしれません。


2000年 10月 26日 木曜日

 いよいよ旅行の最終日。
桜島  朝起きてユースホステルの窓から外をみると、今日も噴煙が上がっていました。
 今日はとりあえず観光案内所を探して地図を手にいれて桜島を1周しようかと思っ て、まずは観光案内所を探したのですが、なかなかみつからず、結局フェリー乗り場 の中にありました。これでは車/自転車の客には目につかんではないか。
 ここで地図を手にいれて荷物をあずかってもらって、自転車で走り始めたのですが、 最悪なことに1/5くらい走ったあたりで雨がぱらぱらと降ってきました。確かに空を みるとどんよりとしてこのまま本降りになってもおかしくない状況だったのですが、 しばらく止まって引き返すか無視して進むかどうしようかと考えていると、今度は更 に大粒の雨が降ってきます。このさき雨が降るんじゃないかとびくびくするのも嫌な ので、素直に引き換えしました。結局雨はそれ以上降りませんでしたが、結局ビジター センターで少し勉強して、溶岩なぎさ遊歩道を少し歩いて、月読神社にお参りして、 鹿児島へ戻ってしまいました。

 鹿児島に戻ったものの、特に行きたいところももうなかったので博物館へ行くこと に。博物館は無料ということもあって小学生が大挙して来ていました。展示もどちら かというとわりと子供向けなところがあったのですが、それなりに面白かったです。 また別棟にはプラネタリウムもあって思わず堪能してしまいました。屋久島では結局 星を見られなかったし。今度は2月頃行って南極老人星(カノープス)をみたいな。

 プラネタリウムを観終わってしまうと、いよいよ帰らないといけない時間になった ので、西鹿児島駅まで戻って自転車を畳みましたが、見物に来る人がいました。やっ ぱり珍しいもんなんですかねぇ。自転車を畳んでいると、これで旅もおわりかぁ、と ちょっと寂しくなってしまいました。
 駅から空港行きのバスに乗って無事出発30分以上前に付き、飛行機にもすんなり乗 れました。行きの JAS は A300 でしたが、帰りの ANA はB777で結構大きかったです。 離着陸時にはスクリーンに外の景色も写し出されましたし、やっぱり B777 の方がい いですね。
 雲の上からみる秋の空は見事なまでに深く青く、まるで吸い込まれるようでした。 また夜の東京上空というのも数多のライトがまばゆく見えて、実にきれいでした。 飛行機は窓際の席に限りますね。

 で、あとは電車で帰るのみだったのですが、始発の羽田空港から蒲田はいいとして、 蒲田から横浜は普通でも混んでてとても乗れませんでした。車掌は運転席に自転車を 載せてくれないし……。しょうがないんで蒲田からタクシーで帰るはめに。7000円近 く掛っちゃいました。せっかく特割で航空券買ったのに。やっぱり昼間に羽田に着く ような切符にしておくべきでした。

 何はともあれ、トラブル続きでしたが充実した1週間でした。また機会があれば屋 久島には行きたいです。白谷雲水峡に行けなかったし、西部林道も行けなかったし。 あなたも今度いかがですか。

 なお1週間もメールを読まなかったのはたぶん電子メールを本格的に使い初めてか ら初めてなんじゃないかと思います。夜に取り込んでみたら 581通溜まっていました。 まぁこんなもんでしょうか。


2000年 10月 27日 金曜日

 久しぶりに会社へ行ってみると、いろいろなことが起きていました。停電後のサー バ立ち上げ自体は問題なかったようですが、細かいトラブルがいろいろ起きていまし た。

 夜は友達と待ち合わせて東京国際フォーラムで GROOVE DYNASTY のライブへ。この 会場は初めてだったのですが、ここを表して迷路のようだといっていた人がいました けど、たしかにこれは迷路みたいですね。どうしてここまで複雑な階段配置になって しまうのだろう。
 開演すると、いきなり Ds が5人揃って叩きはじめるのはなかなか迫力でした。今 日のメンバーで知っているのは Ds の村上"ポンタ"秀一、沼澤尚、Bs の松原秀樹ぐ らいだったのですが、みんな groovy な演奏を聞かせてくれて、とても心地好かった です。途中で出てきて4曲やっていった TIN PAN ななぜここに居るのかよくわからな かったのですが、拍手していた人が居たということは、そんなにいいものだったのか なぁ。なんだか私は中だるみしてしてしまいましたが。
 そのあとの盛り上がりはまたすごかったです。特に沼澤尚とMarcos Suzanoとのや りあいは実に緊張感溢れるスリリングな展開で、堪能できました。いや実に素晴らし かったです。


2000年 10月 30日 月曜日

 遅ればせながらネムキの11月号を購入。ほんとうに久しぶりの観用少女でした。 読み終わるまで本当に最後まであるのか不安でしたが、ちゃんと最後までありました。
 諸星大二郎の栞と紙魚子、毎回怖いような怖くないようなみょーな話ですが、今回 の立ち読み幽霊はなんだかものすごい話でした。古本屋に現れる陰気な幽霊をいかに して追い払うかという話なんですが、とてもイヤー、な方法でした。他にも雨柳堂夢 咄(波津彬子)、百鬼夜行抄(今市子)などおなじみの連載がいつもどおり面白かったで す。


2000年 10月 31日 火曜日

 アメリカは San Diego にある関連研究所に日本・ヨーロッパで使っているのと同 じ電気CADを入れることになり、なぜか11月下旬に私も現地に乗り込むことになる。
 うーん、アメリカはあんまり好きじゃないんだけどなー。workstation なんで、リ モートからでもどうとでもできるんだが。
 しょうがないのでパスポート取得の準備をはじめる。

 晩には Hard Rock Cafe 横浜で DIMENSION のチャリティーライブがあったので、 横浜の Queen's Square へ。遅くなってしまったのでメンバーの後ろから見下ろすよ うな形で立って観ることになったのですが、それはそれで珍しい経験でした。特に小 野塚さんの運指を観るにはまたとない席だったかもしれません。45分くらいの短いス テージでしたが、new album から Hearts も披露する素敵な時間でした。今回はステー ジが狭いこともあってバックメンバなしでオケをバックにした演奏だったのですが、 オケが終わっても演奏をし続ける場面もあって、なかなか熱い演奏が聴けました。

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最終更新: 2000年11月04日21時37分